今日から4月
今日から4月。
入学式はまだですが、入社式や初出勤の新社会人の方も多いと思います。(おめでとうございます!)
一時期、秋入学への移行が話題になっていましたが、個人的にはやはり4月の方がしっくりきます。
また本日から146年ぶりに民法が改正され、成人年齢が一部引き下げられます。
でも飲酒や喫煙は変わらず20歳からなので、ちょっと紛らわしいですね。
そんな新たなスタートのイメージである4月ですが、私にとっては別の意味があります。
(個人的な話ですし長いので苦手な方はスルーしてくださいね)
数年違いで母と姉を見送った月で、桜を見るたびにその美しさとも相まって心が揺れます。
遠く関東に住んでいて最後の入院をしていた姉にLINEで桜の画像を送り「私も桜、見たいなぁ」とやり取りしていたのがまだ昨日のことのように思い出されます。
私も仕事をやりくりしてちょくちょく病院へ行っていたのですが、ある日ちょうど主治医が回診にみえたときのことです。
「○○さん(姉)は今、何がしたいですか?」「みんなでお花見に行きたいと思っています。」
「だったら急がないといけないね。○○さんにはもう時間が無いから。」
…一瞬、何を言っているのか耳を疑いました。
若くて綺麗でしっかり化粧した女医さんが、まるで同僚とランチの話をしてるかのような軽い余命宣告。
思わず姉に気づかれないように「先生、ちょっといいですか?」と廊下へ。
「なぜあんなこと言われたんですか?たとえ状況をうっすらわかっていても、人間は希望を持っていたいんです。大会社を経営していたり積極的に望んでいる余命宣告ならともかく、姉は少しでも長く家族と過ごしたいとただそれだけで治療を頑張ってきたんです。そんな人に突然言わないといけないんですか?」と。
あとで姉に「○○ちゃん(私)、先生が言ってたのはどういう意味なのかな?」って聞かれた時に涙を見られないように背中をさすりながら「きっと桜が散る前にってことだよ。」と答えるのが精一杯でした。
「そうなんだ。優しい妹をもって私は幸せ。」って言ってくれた言葉が忘れられません。
後で、同じく医療者である義兄には「余計なことを…」みたいなニュアンスで言われましたが、私は間違っていたとは思っていません。
私自身、何度か大病で入院・手術をしているのでわかるのです。(だからもう新たな保険に入れないので、保険はぜひ健康なうちに納得できる内容でご加入を!)
入院していると流行の服も化粧も関係ない、ただガラス窓の外に出て我が家に帰りたいだけ。
でもそれが叶わない時は「今日は誰々が会いに来てくれた」とか「24時間点滴だったのが朝晩だけになった」「食事が半分以上食べられた」そんな些細なことを励みに繋ぎ合わせて過ごすのが入院生活なんです。
それなのに、ほんのわずかな希望も打ち消してしまう…その意味はあるのでしょうか?
数年経った今でも、思い出す度に切なくなり特別な想いで桜を見上げるのが私にとっての4月。
そして、生活の中で大変なことがあっても“自分の家でお風呂に入れて、眠れる” ただそれだけで幸せなんだと日々思っています。
いろんなことで苦しんだり傷ついたりする人が少しでもなくなりますように…と祈っています。
(安藤)